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更新日:
2008年11月7日
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国名:タイ王国(The Kingdom of Thailand)
正式名称は、ราชอาณาจักรไทย (タイ語:ラート・アーナーチャック・タイ)で、ราชは「王」、อาณาจักรは「領土」、ไทยは「タイ」を意味する。
現地での通称はเมืองไทย (タイ語:ムアンタイ(Muang Thai))。
公式の英語表記は、The Kingdom of Thailand、略してThailand。日本語表記は、タイ王国、通称はタイ。漢字で泰(タイ)と表記されることもある。
かつては諸外国から、Siam(シャム、サイアム)と呼ばれており、公式名称としても使われていた。しかし1949年5月11日、タイ人の民族名であり、タイ語で「自由」を意味するThai(タイ)に改められた。この名称は、東南アジア諸国がオランダ・イギリス・フランス・アメリカ・日本などの植民地となるなか、タイが独立を保ったことを示している。
首都:バンコク(Bangkok)
バンコクの正式名称は、“กรุงเทพมหานคร บวรรัตนโกสินทร์ มหินทรายุธยามหาดิลก ภพนพรัตน์
ราชธานีบุรีรมย์ อุดมราชนิเวศน์ มหาสถาน อมรพิมาน อวตารสถิต สักกะทัตติยวิษณุกรรมประสิทธิ์(クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット)”です。世界で一番長い都市名だそうです。
1782年にチャオプラヤ・チャクリ将軍、後のラーマ一世(Rama 1)が、ここに遷都した際、新しい国に寄せる思いを詠った詩の全文が王都の名称になったそうです。意味は、“天使の都、偉大なる都城、帝釈天の不壊(ふえ)の宝玉(エメラルド)、帝釈天の戦争なき平和な、偉大にして最高の土地、九種の宝玉の如き、心楽しき王都、数々の大王宮に富み、神が権化して(国王のこと)住みたまう、帝釈天が建築天ヴィシュヌカルマをして作らせたまいし”ということだそうです。
行政上は、“クルンテープ・マハーナコーン(Krungthep Mahanakhon)”と呼ばれ、一般的には「クルンテープ(Krungthep:天使の都)」が通称として使われています。タイの人々は、通常、クルンテープと呼んでいます。
英語で呼ばれているバンコク(Bangkok)という呼び名は、Ayutthaya時代のポルトガル人の勘違いから広まったようです。
アユタヤ王朝(Ayutthaya)時代(1351年~1767年)、都であるアユタヤとタイ湾を結ぶチャオプラヤ川のデルタ地帯(現在のバンコク)は交通の要衝でした。当時、この地には川を行き交う船の監視の為に砦が築かれ、ポルトガル人傭兵が駐屯していたそうです。
彼らが、ここに住んでいた人々に、地名を尋ねたところ、当時は決まった名称がなかったため、仕方なく、「マコークの木が生い茂る水辺の集落(バーンマコーク:บางมะกอก)」と答えたところ、これを地名だと勘違いし、広まったという話です。“バーン”は、“水辺の集落”を意味し、“マコーク”は木の名前(外見がオリーブに似たウルシ科の樹木)だそうです。;
この名が広まる過程で、「バーンマコーク(บางมะกอก)」が、「バーンコーク(บางกอก)」に転訛し、さらに変化してバンコクになったようです。
面積:514,000km2(日本の1.4倍)
地形:
インドシナ半島中央部に位置する。メナム(チャオプラヤ)川が南北に貫流し、流域は広大な沖積平野を形成する。北部は山地といくつかの山間盆地、西部はミャンマーとの国境山脈、東部はコラートとよばれる低平な高原、南部はシャム湾とインド洋に面するマレー半島である。
人口:6,400万人(2003年)(National Statistical Office:国家統計局、労働力調査年報、2003年)
6,235万4402人(2002年7月)
6,181万人(2001年)
都市圏(バンコク周辺に750万6700人(1999年)が住んでいる。
人口密度:121人/km2(2002年推計)
民族:タイ族80%、中国系(華僑)6%、マレー人4%、インド系、ベトナム系
タイ族、中華系、マレー系の他に、モン・クメール系、ラオス系、インド系が暮らしています。山岳部には、それぞれの文化や言語を持った少数民族が暮らしています。
人口増加率:0.88%(2002年推計)
都市人口率:31.1%
バンコク:572万人
ナコンラーチャシマ:256万人
チェンマイ:160万人
ソンクラー:125万人
コンケン:176人
プーケット:26人
出生率 :人口1,000人当たり12.6人(2001年推計)
13.0%(2002年)
合計特殊出生率:1.7人(2002年)
死亡率 :人口1,000人当たり5.9人(2001年推計)
平均寿命 :全人口:69.18歳(2002年推計) 男性:71.1歳(2000年)
女性:76.1歳(2000年)
平均寿命 :全人口:69.18歳(2002年推計)
言語:タイ語(公用語)、中国語、マレー語
識字率(15歳以上):全人口:95.5%(男性:97.1%、女性:93.9%)(2000年推計)
宗教:仏教95%、イスラム教3.8%、キリスト教0.5%
独立:13世紀、スコータイ王朝成立
国連加盟:1946年12月16日
◎貧困率
14.2%(2000年)
(貧困ライン:月収882バーツ未満/人)
◎国旗
この旗になる前は赤地にこの国のシンボルである白い象が画かれていたが、デザインが難しいため現在の旗になった。白は白象の代わりで、青は王室の色。
◎政治体制(2002年4月)
政体:立憲君主制
議会:二院制、上院200名、下院500名(両院とも民選)
元首:プーミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ 9 世王)(1946年6月即位、在位56年)
政府:(1)首相:Somchai Wongsawat(ソムチャイ・ウォンサワット)
(2)外相:ソンポン・アモンウィワット
◎内政(2010年4月)
タイでは1932年の立憲革命以降、軍部主導の政治が続いていたが、92年の軍と民主化勢力との衝突(5月事件)以降、軍部は政治関与を控え、民主的な政権交代手続が定着している。 1997年に成立した憲法に従って、2001年1月に下院選挙が行われ、タイ愛国党の圧勝によりタクシン政権が成立した。2005年2月の下院選挙でもタイ愛国党は圧勝し、同党単独による第2期タクシン政権が成立した。
しかしながら、2006年2月、首相批判の高まりを受け、タクシン首相は下院を解散。その後、同年4月、主要野党ボイコットのまま下院総選挙が行われたが、後に司法当局は選挙を違憲・無効と判じる等の混乱が生じた後、同年9月、陸軍を中心とする政変によりタクシン政権が倒れ、スラユット枢密院顧問官が首相に就任した。
2007年8月、新憲法草案が国民投票で承認され、発効した。同年12月に行われた下院総選挙の結果、第1党となった国民の力党のサマック党首が 2008年1月29日、首相に就任。その後憲法改正を巡って反政府活動が活性化し、同年8月には民主化市民連合(PAD)により首相府が占拠されるに至った。こうした中、サマック首相はTV番組への出演が司法当局により違憲とされたことから、9月9日に首相職を失職した。これを受け、ソムチャイ副首相兼教育相が後継者として首班指名を受け、9月25日に新政権が発足した。
◎外交基本方針(2002年4月)
タイは伝統的に柔軟な全方位外交を維持しつつ、ASEAN諸国との連携と日本、米国、中国といった主要国との協調を外交の基本方針としている。
タクシン政権は近隣諸国との関係の強化、各国との自由貿易協定(Free Trade Agreement:FTA)締結を目指す活発な経済外交、アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue:ACD)の提唱等、地域において積極的なイニシアティブを打ち出している。
◎軍事力(2002/2003年版ミリタリー・バランス)
国防予算:19億ドル(786億バーツ)(2002年度)
21.3億ドル(2006年度)
兵役:徴兵2年、予備役20万人
兵力:正規30万6千名(陸軍19万名、海軍6万8千名、空軍4万8千名)
◎経済(単位:米ドル)
2000年のGNPにおいて非農業部門の割合は約9割。うち工業部門は33.4%を占める。GNPに占める農業の地位は低下しているが就業人口の約4割を占める重要産業である。
GDP:1,146億ドル(2001年)
2,450億ドル(名目、2007年)
一人当たりGDP:1,818ドル(2001年)
3,720ドル(2007年)
GNI:1,208億7,150万米ドル(2001年)
一人当たりGNI:1,970米ドル(2001年)
経済成長率:5.2%(2002年)
4.8%(2007年)
物価上昇率:1.6%(2001年)
2.3%(2007年)
失業率:3.3%(2001年)
1.4%(2007年)
◎総貿易額 (1)輸出:653億ドル(2001年)
1,512億ドル(2007年)
(2)輸入:618億ドル(2001年)
1,392億ドル(2007年)
◎主要貿易品目(2001年)
(1)輸出:コンピューター・同部品、IC、自動車、衣料、冷凍エビ、宝石、コメ
(2)輸入:機械・同部品、電子機器・同部品、原油、化学製品、IC基盤、鉄鋼
◎主要貿易相手国
(1)輸出:1.米国 2.日本 3.シンガポール 4.香港 5.中国 6.マレーシア(2000年)
1.米国 2.日本 3.中国 4.シンガポール 5.香港(2007年)
(2)輸入:1.日本 2.米国 3.中国 4.マレーシア 5.シンガポール 6.台湾(2000年)
1.日本 2.中国 3.米国 4.マレーシア 5.UAE(2007年)
◎経済概況(2010年4月)
タイは、1980年代後半から日本を始め外国投資を梃子に急速な経済発展を遂げたが、その一方で経常収支赤字が膨張し、不動産セクターを中心にバブル経済が現出した。その後、バブル破壊に伴い不良債権が増大し、経済の悪化を背景にバーツ切り下げの圧力が高まり、1997年7月、為替を変動相場制に移行するとバーツが大幅に下落し、経済危機が発生した。
タイ政府は、IMF及び我が国を始めとする国際社会の支援を受け、不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力した。タイ政府の財政政策を含む景気対策、好調な輸出などにより低迷を続けていた経済は回復基調に転じた。
2001年2月に発足したタクシン政権は、従来の輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とすることを訴え、農村や中小企業の振興策を打ち出している。タクシン政権の内需拡大政策の奏功と見られる個人消費の活性化等により、最近は経済の回復傾向が見られ、2002年の経済成長率は、5.2%と経済危機後最も高い数字を記録した。その後も経済は回復し、2003年は6.9%、2004年は6.1%の成長を達成した。
2005年はスマトラ沖大地震及びインド洋津波被害等により若干減速し、4.5%の成長となった。2006年は、政変の影響が危惧されたが、5.0%の成長率を達成した。
2008年は非常事態宣言の発出(その後撤回)や長期化する内政の混乱により、観光産業を始めとする経済への影響を危惧する声がある。
◎産業(2002年4月)
労働人口の50%以上が農業に従事し、メナム川流域では米(世界5位)、高原ではトウモロコシ、サトウキビ、半島ではゴム、タピオカなどが栽培されている。米の輸出量は世界1である。ほかに水産、養鶏、野菜栽培も盛んである。地下資源ではスズ、鉄鉱石、タングステンを産出する。工業は食品加工、繊維などの軽工業が中心であったが、70年代から日本やアメリカの企業が進出し、電機、電子産業など輸出産業が急成長し高度経済成長の段階に入った。しかし96年に輸出が不振となると、不良債権問題が表面化、海外からの投資がいっせいに引き上げられ、米ドルとの固定相場制も崩れた。この結果「国際通貨基金(IMF)」の支援を受けるにいたったが、金融引き締めなどの対策によりプラス成長に回復した。
◎在留邦人数
40,198人(2007年10月)
◎在日当該国人数
39,618人(2006年12月31日現在:外国人登録者)
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